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mhattori。の日記?

きりぬきごめん 1973.04.13~

今日(2006.05.29)、あるブログで「太陽がいっぱい」という映画タイトルも見て思い出したことがあります。
私は、この映画をTV放映で見て、気に入ってそれについて書いてある新聞記事をスクラップしたことを。
そのスクラップは今どこにあるかわかりません。多分実家にあるとは思うのですが。


TVなしの生活をしているため、最近はFMくしろを聞いている。
今日pm9:00~10:00にかけて、'60~'70代にかけての、J-POP&洋楽を流していた。

久々にその1時間、たっぷり半身浴させてもらい、湯にもつかったが、思い出にもつからせてもらった。

中学時代、ラジオをよく聞いていて地元放送曲にリクエストもしていた。
あるときそれが問題になり、全校生の朝礼で注意もされた。(名指しではなかったが)
特別品のない内容を書いた覚えはないのだが、もちろん私一人がということではなかったと思う。
とにかくそういったことが流行っていたのだ。

それから、当時のアイドル「○崎○紀」のラジオ番組にも投書をした。
1度だけだが、ハガキを読まれたこともあった。超うれしかった!

そんなこんなで思わず思い出に浸ってしまった今日であった。

以前、ひょっとしたら書いたかもしれないのだが、
「高校生日記」とは別にもう一冊古い大学ノートがあり、
そこには、当時の新聞の切抜きが貼ってある。

「高校生日記」終了後に小出しにしようと思ったような気もするが

ネタなし時用の新シリーズ決定!いたしました。

本日第1弾?(ひょっとしたらどこかの日に書いていたりして?)
ボケてますんで。その場合は、許してちょ♪♪



【きりぬきごめん】1973.04.13
『天声人語:
作家、遠藤周作さんの「グウタラ物」がベストセラーをつづけていると聞いて三冊ほど読んだ。俗界を離れ、花鳥風月を友とする狐狸庵先生、つまり作者が、折りにふれての筆すさびというシリーズである。先生は庭に出て、石の下のワラジ虫がコロッと丸くなって、眠っているのを見るたび、自分によく似ていると思う。起きもせず、動きもせず「床の中でローストチキンのような格好で」、ひねもすグズグズと過ごしているからだ。エラクなろうとか、勉強しようとかいう気はさらさらない。何をやっても能がない。筆をとれば世にもマレな悪筆だし、歌をうたえば、何の歌かわかる者がいたら賞金をだすと友人が言い出すほどだ。中学時代は、そばに寄るとくさいというので「ソバブン」といわれ、卒業するときは百八十八人中、百八十六番の成績だった。こうしてグウタラ・シリーズは、オナラやトイレや交友をテーマにしながら、あること、ないことをまぜ合わせ、自分のだらしなさを書きつらねる。世のため、人のためには役立たないが、「この憂き世をば面白おかしく過ごしたし」と、受験用古文、漢文をほどよくあしらいながら、その理想境を語る。「公益もないが、公害もなし」と開き直る狐狸庵先生に、若い人がひかれるのは、そうした人間像の中にほのぼのとした温かさを感ずるためなのだろう。いつもヘマばかりする人間に抱く共感である。その裏返しに、弱者を負かし、社会の有用な歯車たれと強要する、砂ばくのような世相がある。もちろん狐狸庵先生は、そんなヤボな解説はしない。フトンの中から薄目を開けているだけだ。が、それがポーズにすぎないのはいうまでもないことで、たいへん勤勉な知的好奇心と、俊敏な観察眼が行間にある。グウタラはグウタラには書けないということだろう。』

以上が切り抜きである。そこのページに書いてあった感想が以下である。

『「グウタラはグウタラには書けない!」
 遠藤周作という人がどのような人物であるかはよく知らない。この作家をはじめて知ったのはテレビのCM(ネスカフェ)でだ。次は兄貴のもっていた「月光のドミナ」(新潮文庫)。そして今評判の「グウタラ物」。「月光のー」とこの「グウタラ物」を書いている作者が同一人物であるとは思えなかった。
 「月光のドミナ」を読んでいる限り作者は勤勉な知的好奇心と、俊敏な観察眼をもっていることもうなづける。「グウタラ物」を書くにしたってそうだろう。しかし読んでいくと作者はほんとうはグウタラで原稿を書くのもしかたなくやっているんじゃないかと思えてくるから不思議である。それほどこの本は魅力的である。冬休みにこの本を読んだ私は、すっかり狐狸庵山人に感化され、朝飯も食べずに、昼ごろまでグウタラ寝ていたものであった。それを何の不自然にも感じないで、これが本当の人間の生き方で、あくせく働くのは人間本来の姿ではないなどと哲学めいたことを心の中でうそぶいたものであった。』


う~~。なんかわけわからん感想です。

とりあえずこのシリーズは全23話予定です。

「太陽がいっぱい」のスクラップが見つかったらもう1シリーズが出来るのに?









ひょっとしたら、以前の日記に記載していたかもしれない?
以前の日記をチェックするのも面倒なので、とりあえず記載します。

1973.05.24 朝日新聞? ”ひととき”より

『このあいだ、収集場所へゴミを持って出ると、古びた大きなリヤカーに三、四歳の男の子を乗せ、一、二歳の男の子を背負って、ゴミの中から段ボールなどをえり分けている若いくず屋のお母さんがいた。
 ちょうど私が持って出たゴミの中に、子どもの小さくなった衣類がすこしあったので、思わず「これ、うちの子のお古だけど、洗たくしてあるし、元気で育っている子のだから、役立ててもらえるなら……」と声をかけてみた。すると、「何だってかまわないんだ。ありがとう。」と返事がかえってきた。そこで、「それはよかったわ。まだたくさんあるから、持ってくるわね」といいおいて、急いで家にもどり、ふろしきに一包みもってきて手渡しながら、話をしてみた。
 「毎日、こうして二人の子どもを連れて働いているの」「置いてくれば楽だけど、連れて歩いているのが一番安心なんだ。どんな恥かしい仕事をしていても、子どもだけは捨てられないもの」。私はじんと胸が熱くなった。「そうよ。今は苦しいでしょうけど、がんばってね」とっさに私は月並みなことしか言えなかった。
 それからしばらくたって、このお母さんのことをもっと知る機会があった。それによると、子ども達の父親はふだんはおとなしそうな職人だが、酒乱気味でときどきあばれるらしい。すると母親は、両わきに例の二人の子どもを抱え、近所を逃げまわるという。
 雨の降り続くある日、リヤカーに満載した段ボールに網をかけようとして、背中の子どもと共に後ろに倒れんばかりにしている姿を見かけ、母というものの姿をそこに見る思いがした。
 (横浜市保土ヶ谷区天王町 岩泉 美子・主婦・42歳)』


当時のコメント

 いつごろか忘れたが、小学校時代かな。ようするに小さいころからくずやさんを見るのが好きだった。でもあまり見つめると失礼だからじっと見たことはないが、彼らあるいは彼女らは自分の仕事に誇りをもっていない(ような)ので下を向いて必死にやっている感じがする。そこがたまらなく好きなのである。こんな感じを味わえるのは自分が幸せであるからだろうか。
 付:ビルの建築を見るのも好きである。





なんと失礼なコメントをしていることか。

今思うと、亀田兄弟じゃないが、
兄弟愛・母子愛をを感じていたか?

一人で仕事しているその姿を見ても、
その後ろにいる家族を感じていたのかも?

いやいや

基本的には、他人の不幸をみて、
相対的に、自分に幸せを感じる
さもしい性格なのかもしれない。

やれやれ。






1973.10.12 大学ノートのスクラップから

多分、朝日新聞?の”ひととき”という読者投稿コーナーより

『近くの小さい郵便局の入り口の金属のとびらは大変重く、以前は指で押してもすっとあく木製でしたが、銀行の窓口の引ったくり事件がつづいたころから替わったような気がします。
 今朝の郵便局は、かなりこんでいました。ようやく終えて出口に来ると、前に若い女の人がいて、とびらを押して出ようとしていました。後ろにすぐ人がいることはわかっているはずなのに、自分の身体が外に出ると、さっと手を離して歩き出しました。
 私があわてて返ってくるとびらを押えて外にうんとおしますと、その手の下をくぐって、小柄なおばあさんがさっと出てゆきました。お先にとも、すみません、ともいわずに。
 外はまぶしいような秋日和でしたが、何となく、気が重く、私はたった二ヶ月の滞在ながら毎日のように乗ったパリの地下鉄を思い出しました。
 地下鉄の入り口には押して入るとびらがあって、老人も若者も男も女も、とびらをおさえたまま必ず後を振り返り、もう二、三歩の人にはそのまま待っていてくれます。思わず片言でも「メルシー」と口に出てきます。いつの間にか、そのしぐさがこちらも身につきました。パリの異国人さえ”心の故郷”と思わせるあの「よさ」は、こんな小さなしぐさの長年の積み重ねからきているのではないでしょうか。
 もともと日本人は、親切な人柄のはずです。ただその親切が、近しい人にはお節介すぎ他人には素気ないようです。茶の湯、生け花を愛し日本人は優雅のはずですが、近ごろは上への形式だけ学んでいるように思われます。
 パリだって庶民の生活は、日本よりつましいようです。なぜ近ごろ、こんな東京はギスギスした感じになってきたのでしょう。
            (東京都豊島区池袋本町 反町 葉・主婦・62歳)』


この切抜きのところに書いてあったコメントが次である。

『バス・列車に乗ると席が空いている。立っているのも何か不自然だ。座る。停留所、駅に止まる。お客がどっとはいってくる。その中に老人がいる。自分の座っている座席のその背のところに手をかけ立っている。世間ではいう「老人に席をゆずってやろう。」でも、私には出来ない。なんとなくわざとらしく感じられるのだ。かと言って他人が席をゆずってやるのを見ていてもわざとらしくは感じない。他人の目を気にかけすぎるのだ、要するに。よく言われる小さな親切という行為のどれもが私にははずかしくてたまらない。小さいうちからこのような行為を何の抵抗もなく出来るように教育してくれればよかったのに。』



先の”ひととき”のとびらをおさえたまま必ず後ろを振り返り、
もう二、三歩の人を待っているという行為ですが、

私は、この記事を読んでからずっと実践しているように思えます。

他の小さな親切という行為は、今でもなかなか出来ませんが
このとびらをおさえるというのは、間違いなく今もしています。

そういえば、昨日の夜も、
会社のとびらで後からきた業者さんのため、
おさえたまま待っていました。

三つ子のたましい100までも?
あれ~、ちょっと違うか。





1974.1.27(日)

『文車(ふぐるま)日記  わたしの古典日記

           恋の見本帳:田辺聖子

「むかし、をとこ、ありけり」
 なんという、しゃれた、心にく
いばかりに洗練された書き出しで
しょう。
「伊勢物語」は全編、みじかい章
ごとに、この冒頭からおはなしが
はじまります。



今回の切り抜き文章長すぎのため省略!』


これに対する当時のコメントが以下です。


『今年の3月には、大学入試古典は半ば捨てたという感じ。
まあ、しかし気やすめと思って家にあった「伊勢物語の解釈
と鑑賞」というやつを読んでいる。
 なかなかおもしろい。受験が近づいてきて気が弱くなって
いるせいか、(古典も文法、文法とさわがないで、じっくり
味わってみたいものだ)という甘いことを考える。案外受験
がなければこの手の本を読むなんてことはなかったかもしれ
ない。
 実際のところ解釈文を読んで楽しんでいるところ。本来原
文で読んで味わうことが必要であろう。そのためにはやはり、
一通りの文法力がないと。それに基本的な古語の意味もわか
るようにしなければ。』




受験が近くなるに従い、「伊勢物語」を読んでいても

受験と関係なしでこの物語を読みたかった。という感想です。

でも、受験が終わって「伊勢物語」を読んだかというと

結局、今の今まで読んでいない!

やはり、受験のためにしかたなく読んでいた?

受験とは関係なしで「伊勢物語」に感動したと

思い込みたかったのだろうか。

受験のためだけで読んでいる虚しさを払拭したかったのであろう。







1974.2.14
カカオの花:特派員メモ

 乾期入りしたルソン島の田
舎は、いまカカオの花盛り
だ。小枝のあちこちに淡いピ
ンクの花が五、六輪づつ固ま
って咲き乱れ、まるで日本の
山ざくらのように見える。

 カカオからつくられるココ
アは、フィリピンでは大事な
調味料だ。集散地の南ルソン
では、たいていの家が豆引き
を持っていて、ごはんにホッ
トココアをかけたり、焼き飯
の上に、よくねり合わせたの
をカレーのようにかけて、小
魚のあげたのをおかずに食べ
るのが、ごく普通の朝のメニ
ューだ。

 マニラの学生などの間で
は、ごはんにコーヒーやサイ
ダーをかけたのをかきこむの
もいるそうだが、日本人好み
の取り合わせではない。フィ
リピン人家庭に下宿した若い
日本人夫妻が「ほかに不満は
なかったが、あのココア・ラ
イスはいつまでたってもなじ
めませんでした」と苦笑して
いた。

 逆に日本人なら大喜びする
お茶漬けの味が、フィリピン
人にはまことに妙なものらし
い。マニラの日本メシ屋で若
い友人にサケ茶づけをふるま
ったら、二口、三口食べただ
けで「残念ながら、おいしさ
がよく分からない」と申しわ
けなさそうにいった。

 同じように米を主食にして
いて、味覚はこれだけ違う。
近ごろ高まった「現地との融
和」も、頭の中で考えるほど
単純なことではないようであ
る。   (マニラ・斎藤)

この切り抜きはたぶん朝日新聞の切抜きだと思う。

当時のわが家は朝日新聞だったから。

この記事にひとことコメントが

→是非ともやってみたい。

あれから何十年、いまだにやっていない!

やはり、融和はむずかしいということか?








1974.3.4

”政治”抜き檄文満開

北大入試 若者ルックの受験生


 国立一期校の”ひなまつり入試”が行われた三日、全道各地と

もおだやかな天気に恵まれた。北大の入試会場は札幌、函館の両

キャンパスと札幌南、西、北の三高校。四十四年の紛争以来、入

試のたびに出動した機動隊は今年は姿を見せず、開学以来最高の

約一万二千三百人が受験した。

 文類、水産類はほぼ昨年並みだが、歯進は10.5倍の激戦。理

類の受験生も約六千八百人と去年より約千五百人ふえて5.1倍、

医進も6.1倍と去年を上回った。

 大学本部の調べでは、今年の現役、浪人の比率は五十二対四十八

の割合。うち四浪以上が三百五十四人も。また女子受験生は全体の

約一割を占めた。

 一方、道立札幌医大も同日午前九時半から札幌市中央区の桑園予

備校を借りて行われ、定員百人に対し六百八十九人の受験生が答案

用紙に向かった。

 札幌の北大では朝七時半ごろから受験生が続々入場。教養部入り

口付近で数人の黒ヘル学生が「田中内閣打倒」のビラを配ったが、

受験生はほとんど見向きもしなかった。かわって幅をきかせたのは、

本部前のタテカンにずらりとはられたちょっぴり得意気に、兄貴風

を吹かした先輩の”政治抜き”檄(げき)文。

 「落ご苦あり、落語研究会」

「(アグネス・チャンの写真が)ワタシは上智大、アナタ北大、二

人は大学生 金沢泉丘高」「前高の皆さんがんばってネ ケイ子、

エミ子、ルリ子より」「国鉄ストにもめげずに来た!お前らなら大丈

夫だ 新潟高」

 そして予備校も登場。「小生思ふにいままで予備校生への檄文がな

かったのは、民主主義の世の中においてははなはだ不公平である。は

ずかしながら、みずから、ガンバレ 札幌予備学院生」

 女子受験生は年々ふえる一方で、試験場にはパンタロンあり、ジー

ンズあり。「あー、平穏。学園紛争はなやかりしころにくらべ、顔付

もなごやかなもんですなあ」やわらかな日差しをあびながら、警備の

大学職員がのんびりつぶやいた。


別の記事で

33才の青年が税理士めざし 北大入試

にのぞんだが 3日のテストの出来具合

がかんばしくなかったらしく ガス自殺。

彼は定時制を出てアルバイトをしながら

予備校には22才ということでかよって

いたらしい。





今生きていたら、66才。

「生きてて良かった」って思うとおもうが…。





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